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miosn's blog

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中世東海道には干潟を歩くところがあった?

榎原雅治『中世の東海道をゆく』(中公新書, 2008年)を読んでいる。

中世の東海道には干潟を越えるところがあり、引き潮にしか通れなかったという。

その場所は熱田宿と鳴海宿のあいだで、干潟は鳴海潟と呼ばれていた。

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熱田はもともと伊勢湾に面した湊町だった。

古代には熱田宮は海に突き出した岬の上に鎮座していたという。

地図を広げてみると、たしかに熱田神宮のあたりだけ周囲より数メートル高い。

 

熱田は地形的には熱田面と呼ばれる段丘面の上にある。

熱田面をつくったのは12~8万年前に堆積した熱田層という地層だ。

 

鳴海は熱田から南東の方向にある。

鳴海は天白川の低地の東縁にあり、北東には八事丘陵がせまる。

 

熱田と鳴海のあいだに熱田面の笠寺台地(松巨島)がある。

江戸時代の東海道は笠寺台地の上を通っている。

干潟ルートを歩いたひとびとは、台地の南側を回ったのだろうか。